国力がなくなっている。
土地も水も、マスコミも、全部外資に握られる。
それらは、日本の国力が弱っているということに他ならない。
SDGsも、グレートリセットも、ムーンショットも、強い国が勝つためのキレイゴトにすぎない。
本気で美しい未来を夢見るような、そんな提言ではない。
世界は、まさに、弱肉強食。
日本は完全にエサになっている。
政治家が悪い、のかもしれない。
日本は資源がない国なのだから、人を生かし知力を上げることで生き残って行かなくてはならない。
なのに、ゆとり教育だの、余暇の充実だの、国民を腑抜けにさせる方針をとってきた。
それも海外からのご達しであり、日本は従ってしまったのだけれど。
海外に食われるのは、もちろんいやで、できることなら回避したいけれど、今の日本は外資を当てにせざるを得ない状態なのだ、ということを認めなくてはならないのだろうと思う。
イヤなことだけれど、認めないと、次の最善を産めない。
批判や文句だけでは、改善されない。
やはり、学力の再強化が必要だと思う。
生きる力だの、個性がどうのだの、もっともらしいキレイゴトを言った結果が、これである。
子どもたちからスマホをとりあげろ。
勉強させろ。
学力の向上とともに、日本人に欠けている「議論できる能力」を、小学生のころから身につけさせる授業が必要だと思う。
討論ではなく、議論。
よりよい解決策、状況の中でのBestをさぐれる能力、異質な意見を受け止めることのできる余裕ある心を鍛えること。
そして、手や体を動かし、話し合ったことを現実化すること。
頭でっかちではなく、現実をつかむ経験をさせること。
地面に穴を掘ってみろ。
単純だが、いかに大変な作業か。
そうしたら、地震の度に簡単に「人工地震」だ、などと言えなくなるのではないか。
(少し話がずれている?)
さらに実践後の議論をおこなう。
経験後の意見やモノの見方は、変わる。
それを振り返ることによって、考えと経験に深みが出る。
このサイクルを、学習の流れとして根付かせることが出来たら。
・・・・昔の小学校では、これと似たようなことを行っていたけれど、最近はずいぶん簡素化してしまっているように思う。
知識を、議論で使い、広げ、実際の行動に移す。
これは、どのような事業においても必要なことだと思う。
のみならず、生活者としてよりよい人生を送る上でも、必要な能力だと思う。
今回の567騒ぎにおいても、一人一人の知力・考える力の弱さが浮き彫りになった。
見えた弱点を、改善していけたら。
とりあえず私にできることは、自分の子どもを鍛えること。
中高生、まだ、スマホは持たせていない。
私の子どもなので、とても賢い子はいないけれど、567においては多くを話し合い、検討しあった。
そういう意味では、よい学びの機会だったかもしれない。
子どもたちよ、
良い日本を作れるように。
そして、
おとんとおかんをささえておくれ。😁