特攻隊
もしも、私がハル・ノートを突き付けられていたら。
戦争回避できただろうか。
全く自信がない。
戦争をしないという公約で大統領になったルーズベルト。
戦後の権益獲得のため、ヨーロッパ戦線に参加したくても、できない。
日本に攻撃をさせるように仕向けて、戦争を開始できれば、日本の同盟国であるドイツを叩きに行くことができる。
だから、絶対にのめない条件「ハル・ノート」を日本に突き付けてきた。
もし、日本がハル・ノートを承認していたら、植民地となっていただろう、と言われている。
もし、私だったら、どうしただろう。
何ができただろう。
そんなことを思いながら、読んだ本。
特攻隊なんて、悲惨で、狂っている。
歴史が苦手で戦争を知らない私は、漠然とそう思っていた。
この本を読んで、印象が変わった。
どれほど真剣に日本を守ろうと決意してくれていたか。それを感じた。
当時の「学生さん」は、今よりも貴重な存在で、彼らには自尊心と共に強い責任感があった。
自分が死ぬことによって、何千、何万の日本人の命を救いたい。
日本文化を守り、日本人が虐げられ亡ぼされることを防ぎたい。
この強い感情は、「右翼思想」なのかもしれない。
視野も狭いのかもしれない。
それでも、私は彼らの想いを否定しきれない。
そして、特攻隊に対する悲劇的な印象は、戦後の教育において切り取られ強調されたものである、ということに気づいた。
私たちに植え付けられた印象は、特攻隊の一面であり、全てではない。
それは、逆に、この本についてもいえることだが。
この本すら、当時の戦争の「一面」でしかない。
それでも、一考の価値ある一面である、と思う。
当時、どのようにしたら、戦争が回避できたのだろう。
攻め込まれずに、戦わずに、日本を守れる方法はあったのだろうか。
歴史に疎い私には、全く分からない。
戦争はダメだ。
悲劇しか生まない。
そう心から思う反面、世界の大きな「欲」に巻き込まれて呑まれていった人たちを悪く思うこともできない。
沖縄の集団自決も、軍が指導したわけではなかった可能性もある。
この本のP185 「補償問題から生まれた集団自決神話」という項がある。
昨今の群衆ヒステリーを見ると、そうかもしれない、とうなずける。
伝聞が繰り返される歴史において、真実はどんどん埋もれていってしまい、イメージだけが強調されてしまうことも多いだろう。
何事も、一面ばかりを鵜呑みにはできない。
そんな気持ちになった1冊。
戦争は悲惨だ。そう思う。
しかし、
もし、その時代、その時、私だったら何ができただろう。
そう考えると、否定も肯定もしきれない、複雑な想いになる。
私は、歴史や政治が苦手だから、得意な人なら、答えが出せるのかもしれないけれど。