Cocoだけの話。

日々思うこと。

2019.6からワラーチで走っています。 読書は、百年文庫読破🎉 次はチャールズ・ディケンズをまとめ読みする予定。

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Kritaで描線した線の色を変える方法

Kritaで描線した線の色を、後から変えたい。

どうやって色を変えるのか。

わかりにくく、調べるのに時間がかったため、まとめておく。

 

 

① 色を変えたい部分のレイヤーを選択する。

 

赤い矢印の部分で、該当の線のレイヤーを選ぶ。

 

 

② レイヤーの右端の、四角のマークをクリックする。

赤い矢印の部分。

黒く鍵のマークになるようにする。

 

 

 

③ 塗りつぶしを選択する。

画面左の、このマーク。

 

 

 

④ 色を選択する。

三角の中をクリック。

 

 

 

⑤ 描線をクリックする。

描線をクリックすると、塗りつぶされる。

 

 

 

以上、覚えれば簡単な作業でした。

 

 

Kritaのマニュアルでやり方を見つけたのだけれど、ちょっとわかりにくい。

もうちょっと素人にも易しくわかるマニュアルにしてほしいな。

docs.krita.org

 

 

山で転ぶ。

年末年始、主人の運動のため、数回山へ。

雪がとけかけた山。

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下りで軽く走っていたら、ずるっと滑って転んだ。

右足がドロドロになったので、沢で足を洗う。

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なぜだろう?

冷たくないんだよね。

手袋をはいた指先は、かじかんで動かないのに。

 

風が強い日が、一番、素足にこたえる。

年末、子どもとランニングをした雪の日は、風が強くて、足の指が凍傷になるかと思った。。

 

 

 

西日本は、冬でもワラーチ、いけます。

 

 

命よりも

少し前、日本は、命よりも大切なものがある国だった。

 

だから、腹も切った。

己の命よりも、己の気位の高さや生き方を重んじた時代があった。

 

私は、必ずしもそれがいいとは思わない。

それでも今、やたらと声高に「命」を連呼する世の中を見せられると、かえってその薄っぺらさに辟易としてしまい、長さではなく質や中身を問うた昔の人の姿が凛々しく思えてしまう。

 

私は、長生きなんかしたくない。と、(今のところ)思っている。

そうは言っても、死に直面すると怖れおののくのかもしれない。

それでも。

私は、腹をくくって死んでいきたいと思う。

 

 

 

 

 

 

かましていい?

 

私、明日死んでも満足して死ねる。

 

(^▽^)

 

年末は多忙。

やることが沢山ある。

やりたいことも沢山ある。

 

やりたいこと、優先でいきましょうか。

(^▽^)

 

 

 

寒そうに見えますよね。

しかし、この日は、ちっとも冷たくありませんでしたよ。

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一人で山を走ったり、子どもとロード・ランしたり。

 

 

 

 

お菓子を作ったり。

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大好きなフロランタン

(カロリーは高いから、また走らなきゃ)

 

 

 

ディケンズも図書館で10冊ほど借りてきたし。

お正月のお酒も買い込んできたし。

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楽しみ😆

筋トレしまくって、飲酒ポイント貯めておかなくっちゃ。

 

去年は、年末年始の暴飲(40度のアルコールをロックで飲み続けた)で胃を荒らして、医者へ行った。

数年前は、急性すい臓炎になって、医者へ行った。

今年は気をつけなきゃ。

🤪🤪🤪

 

 

 

 

 

 

 

・・・・私、本当に忙しいのか?

 

 

 

 

 

 

 

グローバルダイニング

今日だな。

 

どちらに転んでも、声を上げたことに意味がある、と私は思っている。

それが、たとえグローバルダイニングに宣伝の意図があったとしても。

従順であることが必ずしも良いことではない、と私は思う。

 

 

 

おかしなことはおかしい、と、一人一人が自分でできる方法で示すこと。

これが積み重なって、バランスがとれた社会になるのだから。

 

マスクに偏る、ワクチンに偏る、567怖いに偏る。

それは、自分たちで首をしめあげていくことになる。

だから、反対意見でひもを緩ませることは、とても大切だ。

 

 

 

G7、ピアノ演奏の一コマの写真。

news.yahoo.co.jp

この写真から、どんなメッセージを読み取るかは、人それぞれ、かもしれない。

私なんかは、もう1年半近く、外しっぱなしだけれど。

 

早く2月になるといいね。

 

 

ミルグラム実験

1960年ごろに行われた、有名な実験。

 

ミルグラム実験

 

一人が教師役、もう一人が生徒役になり、生徒役が問題を間違えたら、教師役は生徒役に電流を流す。

まちがいごとに電流は強くなり、生徒役はどんどん苦しみ、悶絶し、最後は意識を失う。

 

実は、生徒役は役者で、電流は流れていなかった。

 

観察事項は、教師役がいったいどこまで「やる」のか。

他者の痛みや苦しみと、自分に課せられた「権威」からの命令とを、秤にかけさせた実験だった。

 

結果は、1000人以上の被験者の2/3が、最高値の電流(450ボルト)のスイッチを押すに至ったらしい。

 

 

 

 

個人は、集団に圧力をかけられると、間違っているとわかっている行動を選択してしまうことがある。らしい。

それは、ホロコーストまで遡らなくても、昨今の567・マスクの着用・ワクチン接種の騒ぎにおいても顕著にみられる。

 

しかし、集団でない少人数の状況においても同じことが発生することが、この実験で証明された。

人は、立場が上の者の命令を拒否しにくいのだ。

私が想像するに、「自分の責任ではなく、上の者の責任だ」という意識が働くのだろう。

 

生徒役を苦しめている私の行動は、上の者の判断だから、私がやっていることではない。

私が悪いわけではない。

私は仕方なくやっているのだ。

 

 

 

 

仕方がない?

あなたの存在意義は、皆無なのね??

なら、あなた、いらないわ。

皆無どころか、上の者の悪しき判断に加担しているロクデナシじゃない?

 

と、平常時の人たちなら、そう思うことだろう。

 

でも、マスクをして、ワクチンを打ち、567騒ぎに従い、個人的な場面であっても自己判断をしなかった人たちは、最高値の電流ボタンを押す種類の人間であることは、疑う余地がない。

と、私は思う。

 

なんせ、集団圧力がなくても2/3だから、ね。