ミルグラム実験
1960年ごろに行われた、有名な実験。
一人が教師役、もう一人が生徒役になり、生徒役が問題を間違えたら、教師役は生徒役に電流を流す。
まちがいごとに電流は強くなり、生徒役はどんどん苦しみ、悶絶し、最後は意識を失う。
実は、生徒役は役者で、電流は流れていなかった。
観察事項は、教師役がいったいどこまで「やる」のか。
他者の痛みや苦しみと、自分に課せられた「権威」からの命令とを、秤にかけさせた実験だった。
結果は、1000人以上の被験者の2/3が、最高値の電流(450ボルト)のスイッチを押すに至ったらしい。
個人は、集団に圧力をかけられると、間違っているとわかっている行動を選択してしまうことがある。らしい。
それは、ホロコーストまで遡らなくても、昨今の567・マスクの着用・ワクチン接種の騒ぎにおいても顕著にみられる。
しかし、集団でない少人数の状況においても同じことが発生することが、この実験で証明された。
人は、立場が上の者の命令を拒否しにくいのだ。
私が想像するに、「自分の責任ではなく、上の者の責任だ」という意識が働くのだろう。
生徒役を苦しめている私の行動は、上の者の判断だから、私がやっていることではない。
私が悪いわけではない。
私は仕方なくやっているのだ。
仕方がない?
あなたの存在意義は、皆無なのね??
なら、あなた、いらないわ。
皆無どころか、上の者の悪しき判断に加担しているロクデナシじゃない?
と、平常時の人たちなら、そう思うことだろう。
でも、マスクをして、ワクチンを打ち、567騒ぎに従い、個人的な場面であっても自己判断をしなかった人たちは、最高値の電流ボタンを押す種類の人間であることは、疑う余地がない。
と、私は思う。
なんせ、集団圧力がなくても2/3だから、ね。