折り返し地点。
村上春樹の小説に、「人生の折り返しポイント」について書かれたものがある。
「回転木馬のデッド・ヒート」の、「プールサイド」という作品。
大学生の時に初めて読んで、自分の「折り返し」の年齢について考えた記憶がある。
最近の歳よりは元気だ。
と、言ったところで、人は着実に老い、死んでゆく。
20歳前後の私の目には(あるいは10代の私の目には)、30代ですら立派なおばさんで、60代は確実にお婆さんの域である、と映っていた。
いざ自分がその歳になると、不思議と麻痺する傾向があるようだが、客観的なゆるぎない事実として、今でもそれは変わらない、と(私は)思っている。
人が人である限り、それは変わらないのではないか、と思っている。
大学生の私は、自分の人生の折り返しポイントについて考えた。
村上春樹の小説では、35歳をターニングポイントとしていた。
70歳。
20前後の私には、なんだか欲張りすぎのように思えた。
平均寿命が80だ、といったところで、健康でいられるリミットとイコールではないだろう?
60だな。
赤いちゃんちゃんこの60までは、頑張ろう。
あとはおまけの人生として、のんびりと、いつ死んでもいいや、という気持ちである意味死ぬ覚悟をして、好きに生きていこう。
そう思ったことを記憶している。
30歳の誕生日の朝。
「これが私の折り返し地点だ」
小さな子供を抱きながら、そう強く思ったことを覚えている。
この子たちを、一人で生きて行けるように育てる。
もう、半分生きたのだ。
あと半分だ、なんとか生き延びて、しっかりと歩んでいこう。
村上春樹の「プールサイド」という小説に出会えたことは幸せだったと思う。
自分の人生を俯瞰して考えることができた。
もちろん、思った通りには行かなかったことも、多かった。
それでも、大きな道しるべ、目標のようなものを作ることができたし、それによってゆるぎない心と一種の覚悟のようなものを持つことができたような気がする。
生き物は、絶対に死ぬのよ。
だから、恐れる必要はない。
だから、一生懸命楽しめばいい。
生き抜くためには、場合によっては逃げてもいい。
時には、悪者になることだってあるのだろう。仕方ない。
自分本位が必ずしも悪ではない。
だって、私は幸せになるために産まれてきたのだもの。(と、信じたっていいじゃない)
「プールサイド」を読んで、自分の人生に限りをつけると、そんな風に思えた。
さて、折り返し地点を過ぎて、子どもが大きくなってきた昨今。
親としての責任も、随分軽くなってきた。
どんどん、ふわふわと、ネジが緩んできた自分を感じる。
歳をとるということは、決して悪いことではないなあ。
楽しいなあ。
もう10年もしたら、もっと軽く楽しくなっているのだろうかなあ。
もう、後は死ぬだけ。
そう思えるようになった私は、ものすごく元気になりそうで、、、、、
要注意。。。