日本人が苦手なこと
自分の気持ちや意見を述べること自体は「悪」ではない。
相手の意見が違っていても「攻撃」ではない。
これを、本当に理解して実践できることが、「多様性」を実現する必須条件であり、日本人がとても苦手なことだと思う。
私だけかもしれない。
相手がどのように受け止めているのか、考えや感情がわからず、不安になってしまうことがある。
日本人の多くは、率直に自分の気持ちや考えを表明しない。
相手を傷つけたり、軋轢を生みたくないからだろう。
同調する空気を出したり、意に反したことを言ったり、無言で反対を示そうとしたり。
そういった、ぼやぼやっとした表現で片付けてしまうことが多い気がする。
それが、美点となる場合もある。
一方、それによって、物事が無駄に遠回りしたり、真意を知ったときにより深く傷つくことだってある。
自分の気持ちや意見を述べること自体は「悪」ではない。
相手の意見が違っても「攻撃」ではない。
違うものに接するからこそ、人生にも考えにも深みがでる。
異質な意見の者同士が笑いあえる、これがなかなか実現できない私の理想だ。
私も含め日本人は、お互いに正直に話し合うことが難しい民族なのかもしれない。
面と向かっているときは、その場の空気感で察することもできる。
でも、こういったブログの世界では、文字が全てとなる。
どのブログサイトでも、多くの人は文章のプロではない。
稚拙な語彙と文章であっても、「全て」となってしまう。
強調が過ぎてしまったり、感情が先立ってしまったり。
自分をどうみせたいか。
最近までアメブロに3年ほどいたのだけれど、アメブロではそういった欲がとても濃かったように思う。
他のブロガーとの接触密度が濃いために、自己顕示欲も深まるという傾向があったのかもしれない。
はてなブログの方が、他者との関わりの密度が薄い分、他者の感情と距離を置くことができる、と、今の時点では感じている。
ブログをしていると、みんな、誰かに理解してほしい、認めてほしいと思っているんだな、ということを感じる。
それと共に、相互理解というよりは一方的な承認欲求の方が強いのかもしれない、とも感じる。
私にも、その思いはある。
しかし、それと同時に(あるいはそれ以上に)自分の知らないことや感覚に触れて、考えや楽しみを増やしたい、という欲求がある。
相互理解と、日本人の苦手な異種交流(といえばいいのかな?)ができたらいいな、と思う。
人と自分とを切り離しながらも、交流ができる。
これができたら、同調圧力も薄まるのではないか。
なんて、ちがうかな。